定期総会にてのHさんの体験発表

                                                                                           

  お盆も終わり朝晩はいくぶん凌ぎやすくなって参りましたが、日中の殺人的な暑さはまだまだ続きそうです。熱中症対策十を分にされて、お元気でお過ごしください😀
 「ぷらむ」鹿児島では7月2日(日)に無事に令和5年度の定期総会を終えました(前々会のブログ参照)。
 好評でしたHさんの体験発表「事故から15年の歩みとこれからの目指すもの♪」を掲載いたします。Hさんは53歳の当事者の男性です。
 
 私は15年前38歳の時、自宅マンションの前の産業道路を横断中、車に惹かれ高次脳機能障害者になりました。
 救急車で運ばれた最初の病院では約3か月間ほど入院しました。退院する際、妻が迎えに来てくれた事しか記憶がありません。
 次の病院は、妻がインターネットで調べてくれた姶良の病院でした。ここでも3か月間入院しました。ここの病院では3人のリハビリの先生がいて、3種類のリハビリをしました。どの先生も熱心に取り組んでくださり、全く覚えることができなかったのが、少し覚えられるようにまで回復しました。また、この時、高次脳機能障害と診断され、障害者手帳を持つことができました。
 次の病院は膝や肩などの整形外科的なリハビリの為の入院で、この病院も3か月間入院しました。受傷前は、私は柔道整復師として、自宅の一階で父親が営む整骨院で働いていました。私が事故で入院している間は一緒に働いていたスタッフが整骨院の経営を続けてくれたおかげで、私は退院後仕事を失わずに整骨院に戻ることができました。仕事の内容はケガによって損傷した関節や筋肉や靭帯などに対して、柔道整復術を使い施術することです。手技は自然にできましたが、事故前のように患者さんと会話のやりとりをすることができなくなっていました。患者さんのことを忘れてしまっていたり、会話中も少し前に話したり聞いた内容を忘れてしまったりする場面が多くなり、患者さんとのコミュニケーションが難しくなりました。
 ある時、妻がメモをとることを勧めてくれたので、普段使っている手帳とは別に仕事用の手帳を使うようにしました。この仕事用の手帳によって患者さまとの会話を思い出しやすくなりました。そうやってなんとか仕事を続けていましたが、父の事業の失敗により実家を手放すことになり、整骨院を閉じることになりました。
 
 このような経緯で仕事を失ってしまったのですが、ハローワークに行き、障害者手帳を見せ、柔道整復師の仕事を探しました。そして、現在勤めている会社の面接を受け、採用してもらいました。自宅に近いところを希望しましたが、今は西伊敷で働いています。バスで1時間の通勤を続けています。毎朝、仕事が始まる前に同僚に施術して、今も自分の技術に問題が無いか確認をしています。
 私は高次脳機能障害を患ってから、記憶することが苦手になりました。忘れてしまうことが多くなり、生活する場面で不自由が生まれてしまいました。手帳を使うようになっても、初めはメモをとる習慣がないため、何を書いていいかわからずメモの役割を果たしていなかったのですが、続けていくうち、今は生活の中で必要なものになりました。これからも続けていきたいと思います。
 そしてリハビリを続けた結果、身体障害者手帳は2級だったのが、3級に回復することができました。
 自分が高次脳機能障害になって、以前と同じような人との関係を築くことができなくなったため、残念でありますが去ってしまった人もいます。一方、まだ一緒にいてくれる人、新たに付き合ってくれる人もいます。周りの人間関係も大きく変わりましたが、あまり寂しくはありません。周囲に対してこうしてほしいという注文も今は特別ありません。「普通に接して」くだされば幸いです。ただ、もし私が間違ったことをしてしまったり、しようとした時は「教えてくだされば」助かります。
 私は高次脳機能障害になる前の状態に完全に戻ることは難しいと思います。自分なりに努力や工夫を重ねたり、周りに理解してもらうことにより、社会に適応して、社会にの中で何か貢献していけるような人になれるよう努めていきたいと思っています。


 

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